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リレーエッセイ 2016・秋
スサビノリの「スサビ」の由来 1/2/有賀 祐勝

海苔 ( のり ) は日本で長年にわたって養殖されてきた伝統的な海藻食品です。養殖ノリの研究に生涯専念された東京水産大学名誉教授の三浦昭雄さん(1970)は、日本の養殖ノリとして、アサクサノリ、スサビノリ、マルバアサクサノリ、ヤブレアマノリ、イチマツノリ、カイガラアマノリ、ソメワケアマノリ、ムロネアマノリ、コスジノリ、ウップルイノリ、マルバアマノリの11種をあげています。しかし、現在日本で養殖されているアマノリ(紅藻アマノリ属植物の総称)の大部分はスサビノリという ( しゅ ) です。かつてはアサクサノリという ( しゅ ) がかなり大きな割合を占めていましたが、現在ではアサクサノリを養殖しているところは極めてまれです。従って、商品としての ( ほし ) 海苔 ( のり ) ( やき ) 海苔 ( のり ) が「浅草海苔」と表示されることはほとんどありません。

ところで、スサビノリの「スサビ」とは何のことでしょうか。スサビノリについて詳細な研究を行って新種として記載したのは東京水産大学名誉教授の殖田三郎さん(殖田(1932)日本産あまのり属ノ分類學的研究.水産講習所研究報告 28(1), 1-45, Plate I-XXIV. スサビノリにPorphyra yezoensis という学名をつけた註1)ですが、スサビノリという和名の由来や標本の採集地については一言も触れていません。また、北海道大学名誉教授吉田忠生さんの「新日本海藻誌」(内田老鶴圃,1998)には「すさびのり(遠藤 1908)」と書かれており、タイプ産地は小樽市祝津としていますが、和名の由来については全く触れていません。インターネット上で「スサビノリ」を調べてみても、「スサビ」の由来についての信頼できそうな記述はほとんど出てきません。困ったことに何の根拠も示さずに堂々と「荒び海苔」とか「奈良輪荒び海苔」と表記しているものさえあります。水産関係や藻類関係の研究者の中でさえ「スサビ」の由来について明確に知っている人はほとんどいないようです。そこで、念のためにいろんな情報にできるだけ当ってみました。

上記の吉田さんの「すさびのり(遠藤 1908)」をたよりに、この文献に相当するとおもわれるものに当ってみました。それは北海道大学教授だった遠藤吉三郎さんが明治41年(1908)に「水産調査報文 第一 函館支廳管内ニ於ケル海苔業ノ將來」という標題で出版した報告書です(図1)。この報告書で遠藤さんは「北海道ノ海苔ノ種類品質並ニ製品トシテノ價値」という項に、「第一 すさびのり」として「すさびのりトハ余カ今回新タニ命名セル所ニシテ本種ノ産地タル函館尻澤邊ノ地名ヨリ取レルナリ本種ハ・・・」(太字は筆者指定)と書いています(図2)。遠藤さんが北海道函館地方の尻澤邊というところで発見したノリに「すさびのり」という名をつけたのです。すなわち、スサビノリという名(和名)をつけたのは遠藤さんであり、「スサビ」は函館の「尻澤邊」(尻沢辺)という地名に由来するのです。また、遠藤さんの著書「海産植物學」(博文館、1911)を開いてみると、「すさびのり」の解説の中に「・・・今函館尻澤邊ニ於ケル其發育の状ヲ検スルニ・・・」(太字は筆者指定)との記述があります。これらの記述で気になるのは、「尻澤邊」を「すさび」と読むかどうかということです。また、「尻澤邊」=「すさび」であるならば、函館地方の海岸で「すさび」と呼ばれる浜があるか(あったか)どうかということになります。そこで、地図上で「尻澤邊」あるいは「すさび」と記載された所があるかどうか探してみました。しかし、残念ながら現在の地図にはこのような地名は見つかりませんでした。この点に関しては昔の(明治時代の)地図に当ってみる必要がまだ残されています。

図1 遠藤吉三郎(1908)の調査報文の表紙
図2 遠藤吉三郎(1908)の調査報文の「すさびのり」に関するページ
図1 遠藤吉三郎(1908)の調査報文の表紙
(千葉県立中央博物館海の分館菊地則雄氏提供)
図2 遠藤吉三郎(1908)の調査報文の
「すさびのり」に関するページ
(千葉県立中央博物館海の分館菊地則雄氏提供)

註1)現在、スサビノリの学名はPyropia yezoensis と表記される。

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