こうして江戸時代に東京湾で始まったとされる海苔養殖技術は、その後全国に広まっていきますが、東京都島しょ農林水産総合センターのホームページによれば、東京都の海苔生産量は戦前まで全国の50%以上を占め、第1位を譲ることがなかったとされ、戦後も1956年までは第2位を下回ることがなく、当時の羽田から旧江戸川河口までの東京都沿岸域全面に海苔養殖場が広がっていたとされることからも、前述の講演内容が実践されたことが証明され、国益向上への熱意溢れる若き講演者の力量に加え、かような人材を内に有した創成期の大日本水産会という組織の持つ存在意義に、胸が熱くなる思いが致します。
しかしながら、1950年代後半以降の高度経済成長期において沿岸開発と水質汚濁が進み、1962年には東京都沿岸域の漁業権が全面放棄され、ここに江戸前の海苔漁業は終わりを告げる結果となるわけですが、養殖技術の全国的な広がりにより今日海苔養殖業はわが国海面養殖業の中核的存在となっており、先人たちの意思は、こうして今に継続されているのです。
ところで、筆者は本年10月に海苔増殖振興会の計らいにより、初めて主産地の一つに数えられる熊本県の有明海沿岸域の海苔漁場を垣間見る機会に恵まれ、対岸の雲仙を背にして干潟の奥に多数の海苔ヒビが林立する浮世絵の如き風景に直面し、前述の第1回小集会講演録に記された次の一節「海苔培養は地味の撰定を以て第一とす。抑(そもそも)海苔は鹹淡水(海水と淡水)の交和に因って生ずるものなるが故に、須(すべか)らく鹹淡能く交通するの地位を撰び、雨水の最も稀少なる時と雖も、鹹淡水の配分其の適度を誤らざらしむるを以て肝要とす。」を感慨深く思い浮かべておりました。
かつての両國川(隅田川)や多摩川の注ぐ潮汐消長盛んな東京湾北品川沿岸域が、わが国第一の海苔生産漁場であったように、今日においてはこの有明海が海苔増殖の地味選定に最適な漁場の一つとされているわけであり、諌早湾干拓事業の開門問題もさることながら、海苔生産期における栄養塩量の低下や水温の上昇等が指摘され、海苔の生産海域に危険信号が灯る今日、先人たちの汗の結晶を再度胸に抱き、新海苔の季節を迎えた今、何としてもわが国有数の海苔漁場における環境保全への取組みを継続強化させねばならないとの思いを強く抱きつつ、新海苔を噛みしめ、香りを香道にならい、しみじみと(香を)聞く今日この頃です。
註:大日本水産會報告第2号からの引用部分は、漢字混じりカタカナ書きで句読点がない原文を筆者が漢字混じり平がな書きに直し、句読点や送りがな等を加えて読みやすくしてあります。
執筆者
齋藤 壽典(さいとう・としのり)
一般財団法人海苔増殖振興会会長、一般社団法人大日本水産会顧問、水産物・水産加工品輸出拡大協議会会長