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リレーエッセイ 2022・夏
北海道の不思議なコンブ“エンドウコンブ” 1/2
コンブの分布域

北海道の沿岸には多様なコンブが生育していますが、それぞれの(変)種が道内のどこでも見られるわけではありません。それぞれが決まった、ある程度の広さの分布域を持ち、例えば、日高昆布として商品化されるミツイシコンブについては「日高地方を主産地とし、東は十勝沿岸を経て白糠まで、西は室蘭、噴火湾、恵山岬を経て汐首岬付近まで」と知られています。

私は以前、室蘭にある臨海実験所に勤めていたことがありますが、そこにはちょっと不思議なコンブが生えています。それは世界でもその辺りの狭い範囲でしか見られないコンブで、種名はエンドウコンブSaccharina yendoanaといいます(図1)。これを初めて発見した著名な水産学者であり藻類学者である遠藤吉三郎先生にちなんで名付けられました。

図1 エンドウコンブ(室蘭追直漁港産)(左)とカラフトトロロコンブ(羅臼産)(右)

図1 エンドウコンブ(室蘭追直漁港産)(左)とカラフトトロロコンブ(羅臼産)(右)
エンドウコンブの発見者

遠藤先生(図2)は1874年に新潟県北蒲原郡中条町(現在の胎内市)に生まれ、東京帝国大学理科大学と東京帝国大学大学院で学んだ後、1907年に札幌農学校教授に、1918年に北海道帝国大学附属水産専門部教授に就任されています。大学では水産植物学を担当され、男女同権論や権兵衛種蒔き論を引用した個性ある授業を展開して学生の人気を博し、名物教授として当時の学生に大きな影響を与えたようです-そこから水産生特有の気質“水産魂”が生まれました-。

図2 洋服姿の遠藤吉三郎先生(北大総合博物館所蔵)

図2 洋服姿の遠藤吉三郎先生(北大総合博物館所蔵)

遠藤先生のご研究は、分類から磯焼け、赤潮まで多岐に渡り、扱う材料もコンブ類やホンダワラ類、サンゴモ類といった大型藻類から珪藻といった微細藻類に至るまで実にさまざまです。「日本有用海産植物」や「實驗隱花植物學」、「莫語花」や「海產植物學」は何れも名著であり、「海產植物學」は1994年に復刻版も出版されました。私は学生時代に1911年版を古書店で購入していますが、これは分子生物学全盛となった今でもしばしばページをめくる座右の書のひとつです。

遠藤先生は、研究者として業績をあげる一方で、ノルウェー式スキーの導入や日本初のジャンプ台の製作、遠藤式ストーブの発明などでも才能を発揮しています。1911年には欧州へ留学していますが、帰国後には「欧州文明の没落」や「西洋中毒」を執筆し、「西洋文明は窮屈である」との考えのもと、自ら和服ばかりを着て生活されていたそうです。そんなユニークで学生に好かれる先生でしたが、1919年に突然大学から休職を命じられています。これは俗にいう“遠藤事件”で、同僚が文部省から研究費を他の教官に無断でもらったことへの遠藤先生の追及が延いては大学総長への非難にまで及び、更には先生が新聞に寄稿した諷刺文が大学を誹謗するものであると判断されたことが発端です。これを知った学生による遠藤先生の復職運動はやがて文部大臣が議会で説明を求められる状況にまで発展してしまいました。先生はその後復職することなく肺結核で体調を崩し、1921年に48歳の若さで亡くなっています。

北海道において同じ頃に活躍された研究者に宮部金吾先生がおられます。ともに北大で教鞭をとり、日本の藻類学の草創期を支えた宮部先生と遠藤先生ですがその人生観は大きく異なるようです。しかし、お二人の数々の学術成果を目にすると、丹念な生物観察を通して普遍的真理を創造する研究精神は互いに通ずるところがあるように感じられます。

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