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リレーエッセイ 2011・冬
海中漫歩 第二話 「海藻の花」 1/3/横浜 康継
「海藻の花」

海(わた)の底 沖つ玉藻(たまも)の名告藻(なのりそ)の花 妹(いも)と吾(あれ)と 此処にしありと莫告藻(なのりそ)の花

万葉集に収められている恋の歌である。「なのりそ」とは海藻ホンダワラ類の古名だが、「言わないでください」という意味にもなるので、この歌は「二人がここにいることを人に言わないで」とホンダワラ類の「花」に呼びかけていることになる。恋する二人が春の海辺で肩を寄せ合いながらホンダワラ類の「花」を眺めている情景が彷彿とするだろう。

写真2. なのりその花(雌性生殖器床)をつけて水面に浮かぶアカモクの枝先
写真2. なのりその花(雌性生殖器床)をつけて水面に浮かぶアカモクの枝先

ホンダワラ類のほとんどの種は春の大潮の頃に花を咲かせるので、海藻の観察や採集に訪れた磯で「なのりその花」を見る機会は多い。そんなとき、万葉の頃にタイムスリップして、「愛する乙女とこの情景を眺めることができたら!」などと夢見る思いになるのだが、その一方で、「この花は本当の花ではない」などと、植物学を専攻した私は思ってしまう。

「ゆとりの教育」が始まってからの小中学校では、理科の授業で教える植物は「花の咲く植物」に限定されてしまったらしい。「花の咲く植物」とは種子植物を意味しており、「花の咲く植物」の「花」とは種子植物の生殖器官を指している。そのため小中学生は種子植物とは違う海藻という植物について学ぶ機会を失ってしまったのである。しかし国語の授業などで万葉びとが愛でた「なのりその花」の存在を知った子供から「海藻の花ってどんな花?」などと質問されたら、先生たちはどのように答えるだろうか。

種子植物とは花を咲かせ種子を実らせる植物のことで、草木や農作物など私たちがいつも目にする植物のほとんどがこの仲間に属しているが、コケ植物やシダ植物は、花を咲かせることはないので、種子植物ではないということになる。ただコケ植物・シダ植物・種子植物に属する植物のほとんどは陸上に生育しているため、これら三つのグループはまとめて陸上植物と呼ばれている。

ここで、好奇心旺盛な子供達は「陸上植物の中で種子植物だけが花を咲かせるのはなぜ?」と思うかもしれない。この疑問を解くにはまず、大昔に緑色の海藻に近いミクロな藻が上陸してコケになり、やがてコケより陸上の乾いた環境に適したシダになり、さらに陸上の環境に適した種子植物になった、という植物の進化の歴史を知らなければならない。

環境に適した性質や形態(からだのつくり)を遺伝的に持つようになることを「適応」と呼ぶ。つまり緑色の藻の1種が陸上の環境に少し適応してコケになり、もう少し適応してシダになり、さらに適応して種子植物になったのだが、花は陸上の環境に最も適応した生殖器官として発達したのである。

第一話で、ワカメの雄の配偶体から放出された泳ぐ精子が雌の配偶体に達して卵と受精する、と語ったが、コケ植物とシダ植物でも、精子はわずかな水たまりなどを泳いで卵と受精する。つまり陸上の環境に適応したはずのコケやシダも、まだ精子と卵の受精には水が必要なのである。しかし種子植物は雄と雌による子づくりに水という媒体を全く必要としなくなった。そしてそれを可能にしたのが花という「秘密兵器」なのである。

花には雄しべと雌しべがあって、雄しべから放出された花粉が雌しべに達して受粉が起き、やがて種子が実る、ということは小学生でも知っている。そして花粉が精子のようなものだと、ほとんどの人は理解しているだろうが、花粉とは雄の体つまり「雄の配偶体」なのである。しかしこの配偶体は地面に生えるのではなく、雄しべで生まれて、空を飛んだり虫に付着したりして雌しべへ到達する、という離れ技を演じる。つまり花粉はミクロな「空飛ぶ雄」なのである。そして雌しべに着くと、花粉から生まれた精細胞が雌しべの中を通って子房の中の卵と受精する。精細胞はまったく精子と同じものなのだが、水中を泳ぐのに必要な鞭毛あるいは繊毛と呼ばれる毛を持たないので、一応区別して精細胞と呼んでいるだけである。

卵・精子・精細胞から胞子までをまとめて生殖細胞と呼ぶが、私たちヒトという生物の生殖細胞は卵と精子だけである。つまりヒトの場合、雄の生殖細胞は鞭毛を持っていて、液体の中を泳いで卵に到達するのだが、これは祖先が海で暮らしていたときの生殖法を今でも持ち続けているということを意味している。これを、女性は「小さな海」を持つ、とロマンティック(?)に表現することもできるが、コケやシダだった頃には必要だった「小さな海」を捨てて、代わりに花という「秘密兵器」を持つようになったのが種子植物なので、サクラからタンポポなどにいたるまで、花を咲かせる種子植物は私達よりはるかに陸上への適応が進んだ生物なのである。「万物の霊長」などと思いこんでいた私たちも「負けた!」と思わざるを得ないところだが、もしヒトも負けずに「小さな海」の要らない子づくりができるまでに進化してしまったら、恋愛も結婚も不要となり、一生は味気ないものになってしまう?

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