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リレーエッセイ 2012・春
海中漫歩 第三話 「乙姫の髪」 2/2/横浜 康継
海の草原の「あまのじゃく」な植物

さて、「あまのじゃくな植物」たちはなぜ海へ里帰りしたのだろう、という疑問が残されたままだが、実際にアマモなどの海草(うみくさ)たちの生育している現場を訪れてみると、その理由がわかる。

アマモは波の静かな湾奥や漁港内の砂泥質の海底に生育している。海底に生育する植物のほとんどは海藻なのだが、海藻は土壌中に張る「根」という器官を持たないため、砂地や砂泥地には生育できず、岩や固い人工物に付着して生育している。そのため海底の砂地や砂泥地は空き地になっていたのだが、そのような空き地の一隅に進出したのが海草なのである。

約4億5千万年前に上陸した緑色の藻は、まずコケに進化したが、この段階では根と呼べる器官を持たなかった。コケも体を固定しながら土壌中の水や養分を吸収する役目の細かな根のようなものをたくさん延ばすが、それらは表皮細胞の突起あるいは細胞が1列につながっただけの糸状部分なので、根ではなく仮根(かこん)と呼ばれる。シダに進化した段階で、水や養分の通路としての「維管束」の通った根や茎が発達したのだが、シダから進化した種子植物はもちろん立派な根や茎を持っている。

海藻は全身で海水中の水や養分を吸収できるのだが、上陸してからの植物にとって利用できる水や養分はほとんど地中にしかない。そのために維管束という水や養分の通路を備えた巨大な根および根と葉をつなぐ茎が発達したのだが、地中に広く深く張った根は地上部を支える役目も果たしている。

海草も種子植物なので根を持っている。地中に張って地上部を支えることのできる根を利用して、根を持たない海藻たちの住めない砂泥地という空き地に、海草たちは住み始めたわけなのだが、彼らは茎も地中を水平に這う「地下茎」という形にし、これを縦横にのばして、海中ではかなり不安定といえる砂泥地にしがみついている。

地下茎は水平方向に成長しながら所々から新芽を出すので、海底から立ち上がった何本もの植物体は地下でつながった形になっている。そして無数の地下茎が縦横に走り、ネットワークを形成しているため、波に洗われやすい砂泥地でも、海草は豊かな茂みを形成することができるのである。

ただ地下茎と根で不安定な砂泥地にしがみつくようにして生育する海草は、湾奥や港内のような外洋からの荒波の影響を受けにくい場所でなければ茂みを維持できない。そのような波静かな砂泥地に発達したアマモなどの茂みは、陸上のススキなどの茂みとよく似ている。「海の森」ならぬ「海の草原」なのだが、「乙姫の髪」のイメージは全くない。

もしススキの大草原を強い風が吹き渡る光景を遠望したならば、それは豊かな髪の毛のそよぎを彷彿とさせるだろうが、砂泥地にあるアマモの茂みを強い波が襲ったら、海水は泥濁りの状態になり、ススキよりはるかに軟弱なアマモの葉はちぎれて水面に浮いてさまようという、惨憺たる状態になる。実際に荒れたあとの海岸にはアマモの葉の切れ端が多量に打ち上がるのだが、これを乙姫の髪の断片と思ってみようとしても悲しくなるだけである。

ちなみに、アマモの葉の切れ端が水面に浮くのは、海草の葉には空気の通路があり、その中に空気が溜まっているためである。アマモなどの葉は柔軟なため、ススキの葉のように空気中で立てることはできないが、水中では立っている。これは葉の中の空気の通路に溜まった空気の浮力に支えられているからで、そのため葉がちぎれると浮き上がることになる。試しにアマモの葉をちぎって水中でしごくと、葉の切り口から出る細かな泡を肉眼でも確認できる。

写真8. アマモの葉の横断面
写真8. アマモの葉の横断面

葉の中の空気の通路は葉の光合成で発生した酸素の供給路としても役立っている。この通路は地下部にまでつながっているので、湾奥などの砂泥地という酸素不足に陥りやすい土壌中でも、地下茎や根が窒息を免れるばかりでなく、周辺の地中に住む微生物や小動物にも酸素が供給される。そのため「海の草原」は、酸素不足によるヘドロの発生を抑える役割を果たしていると言えるが、海草自身の働きと葉上で増殖する微生物の働きは海水も浄化している。さらに葉上の微生物は同じ葉上に住む小さなエビ・カニの仲間の餌になり、それらの小動物は草原を訪れる魚類の餌になる。また海草に卵を産み付ける魚介類も多いのである。

陸上の森や草原と同じように、海中の森や草原も、多様な生物にとって欠くことのできない存在であり、そして環境維持という重要な役割も果たしている。アマモの草原は、海中の最も汚れやすい領域で頑張っているというわけだが、それだけに残念ながら「竜宮の乙姫の元結いの切り外し」という雰囲気にはほど遠い。それなのになぜ「りゅうぐうのおとひめのもとゆいのきりはずし」などという異名が付いたのだろう、という疑問が残る。

実は「あまのじゃく植物」である海草の中には、さらにあまのじゃくな種類が存在しているのである。海草は、陸上の環境に適した根と茎を使って、海藻の住めないまま空き地として残されていた砂泥地に住み込んだはずなのだが、スガモとエビアマモという海草は海藻が生育できるはずの岩の上に茂みを形成する。東北の志津川湾などで見られるのはスガモで、伊豆地方に見られるのはエビアマモというように、両種は南北に住み分けているが、どちらも荒い波の打ち寄せる場所の岩礁にしっかりと生えている。

スガモもエビアマモも根と茎を持っているが、茎は岩の上を這い、茎から出た根が岩に固着している。まるで海藻のマネをしているみたいだが、葉には海藻に見られない葉脈が走っているし、花も咲かせて種子も実らせる。ただ波の荒い場所に住むこれらの海草は、アマモなどより細くて丈夫な葉を持っている。そして緑色も濃くて艶もある。

写真9. スガモの群落
写真9. スガモの群落

潮が引くとスガモとエビアマモの茂みは水面に現れるが、密生した濃緑色の細長い葉が荒い波にもまれて前後左右としなやかに揺れる様子は、まさに元結いの切れた乙姫の髪を彷彿とさせる。いつの頃のことかわからないが、「竜宮の乙姫の元結いの切り外し」という名を付けた「命名者」の目を惹きつけたのは、アマモではなくスガモかエビアマモのほうだったはずだと私は確信している。

両種は茨城県の沿岸を境として南北に住み分け、そして外見上全く区別がつかないので、「竜宮の乙姫の元結いの切り外し」は、命名者の住所が茨城県以北であればスガモ、そして茨城県以南であればエビアマモだった可能性が高い。それにしても、このようなゆったりとした時の流れを感じさせる風流な植物名の名付け親とは、一体どんな人だったのだろうか。

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執筆者

横浜 康継(よこはま・やすつぐ)

元南三陸町自然環境活用センター所長、元筑波大学教授(元筑波大学下田臨海実験センター長)、理学博士、第4回海洋立国推進功労者表彰受賞(2011年)

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