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リレーエッセイ 2017・夏
沖縄の海でコンブを養殖したい 2/2/有賀 祐勝
沖縄でのコンブ養殖
図2. 沖縄・羽地内海で試験養殖したマコンブを持つ佐々木忠義さん(1983年5月1日)
図2. 沖縄・羽地内海で試験養殖したマコンブを持つ佐々木忠義さん(1983年5月1日)

冒頭に述べたように、沖縄では大量のコンブが消費されているが、沖縄にはコンブは自生していない。大量のコンブはすべて県外からもたらされるものである。地元でのコンブ養殖が可能になり、それを消費することができれば、沖縄の人びとの生活に大いに貢献できるのではないか。1980年代初めに沖縄でのコンブ養殖の可能性の検討と養殖試験の必要性を唱えたのが元東京水産大学学長の佐々木忠義さんと同大学教授の三浦昭雄さんであり、私も及ばずながら協力することになった。

沖縄におけるコンブ養殖試験は三浦昭雄さんの主導で動き出した。まず千葉県種苗センターのご厄介になって移植試験用のマコンブ種苗を確保した。細いロープに着生した種苗を1982年12月に沖縄に運び、沖縄県水産試験場研究員の当真武さんのお世話で沖縄本島北部の羽地内海のヒオウギガイ養殖筏に吊り下げてもらい、管理をお願いした。養殖試験の途中経過は当真さんから三浦さんのもとに随時もたらされたが、残念ながら移植マコンブの生長と生残は思わしくなく、わずかの個体が残るのみとなり、翌83年5月初めに試験を終了することになった。佐々木忠義さん、三浦昭雄さんとともに沖縄を訪れ、5月1日に撤収した。図2はその時に生き残っていたマコンブの写真である。最終的にはわずか3個体となってしまったが、沖縄の海における初めてのコンブ養殖試験の結果は、全滅ではなく、今後何らかの工夫を加えればコンブを育てることは可能であることを示している。

私共がコンブの養殖試験を沖縄の海で始めたことをどこからか耳にしたのであろう琉球大学教授(藻類学)の藤山虎也さんは「コンブは北海道や東北地方沿岸の低温海域に生育するもので、それを温かい沖縄の海で育てようなんてトンデモナイ!!」と言われたという話が間接的に聞こえてきた。しかし、可能か不可能かは、やはり実際にやってみないと分らないものだと言えよう。

沖縄の海でコンブを育てるという最初の試みの結果をみた当時の沖縄県水産試験場長の嘉数さんや当真さんからは、“このような試験研究は継続したい、試験場所に問題がなかったか、外海ではできないのか”など大変好意的なコメントをいただいた。ちなみに、羽地内海は、流れ28 – 32 cm/sec、水温 15 – 30 ℃、無機懸濁物が比較的多いところであるとのこと。この養殖試験の際には残念ながらいろんな制限があり、環境諸条件に関してはきちんとしたデータをとるための調査を行うことができなかった。

高温耐性を持つコンブの探索と利用

藤山虎也さんに言われるまでもなく、この養殖試験は、沖縄の温かい海でマコンブがそう簡単に生き残ることは難しいであろうとの想定の下に始めたものであった。上記のような厳しい結果は、やはり高温耐性を持ったコンブの探索と利用の必要性を強く示している。

1970年代後半から始まった日中海洋水産科学技術交流協会を通じた中国との交流の中で、青島水産学院で高温性マコンブが作出されているとの情報があった。そこで、この種苗を分けてもらって沖縄で養殖試験をしてみたいとの強い要望が三浦昭雄さんから出され、中国側と交渉してみることになった。1983年6月には青島で第11回国際海藻シンポジウムが開催されることになっており、佐々木忠義さんと三浦昭雄さんは勿論、私もこの国際シンポジウムに参加することになっていたので、この機会にこの高温性マコンブの種苗を入手すべく中国科学院海洋研究所の曾呈奎さんとの交渉に入った。

6月の訪中を控えての交渉は大変忙しいものであった。現在のように中国との通信がスムーズにできる時代ではなかったからである。日中海洋水産科学技術交流協会を窓口にして来日していた青島水産学院の温保華さんに手伝ってもらい、曾呈奎さんとの交渉は数字電報と呼ばれる電信を使って行なわれた。日本語の手紙をまず作成し、それを温さんに中国語に翻訳してもらい、電信電話局に行って漢字と4桁数字を対応させた冊子(数字コード表)を借りて漢字一つ一つを4桁の算用数字に置き換えて電信用紙に書き込み、窓口にお願いして送信してもらうという大変面倒なプロセスを経なければならなかった。この漢字→数字変換のためには大変な時間を要し、返事も数字電報で受け取って漢字変換をしてから日本語に翻訳するというものであった。このようなやり取りを数回繰り返し、ようやく高温性マコンブの種苗を分けてもらえることになった。

大変な交渉であったが無事種苗を分けてもらえることになり、受け取った種苗を入れて運ぶための発泡スチロールの箱を用意して中国を訪問したのであるが、いざ青島に到着してみるとどんでん返しが待っていた。国際海藻シンポジウムの合間に時間をとってもらって曾呈奎さん他数名の中国側研究者と温保華さんを通訳として日本側の佐々木・三浦・有賀の3名が面会し、お願いしてあった高温性マコンブをいただきたいと話の口火を切った。しかし、どうしたことか中国側は妙な雰囲気で、よく質してみると、そのような約束をした憶えは全くないとのこと。数字電報やり取りの話をしてみても、そんなことをやった憶えはないとのことで、全く埒が明かなかった。この間、中国側に何があったのか全く分からず、会談は気まずい雰囲気のまま打ち切りとなってしまった。30年以上経過した今でも、中国側に何があったのか全く理解に苦しむばかりである。

誠に残念なことであるが、このような経過を経て頓挫したままで、その後佐々木忠義さんも三浦昭雄さんもこの世を去ってしまい、沖縄でのコンブ養殖はいまだに実現していない。中国では南に位置する海南島沿岸にまでコンブ養殖は広がっているとのことである。高温性コンブの開発あるいは導入を含め、日本の誰かが沖縄でのコンブ養殖に挑戦してくれることを期待したい。

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執筆者

有賀 祐勝(あるが・ゆうしょう)

一般財団法人海苔増殖振興会副会長、浅海増殖研究中央協議会会長、公益財団法人自然保護助成基金理事長、東京水産大学名誉教授、理学博士

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