海藻の学名ルールと私のちょっとした鬱積 2/2/川井浩史 < 海苔百景 リレーエッセイ < 海苔増殖振興会ホーム

エッセイ&フォトギャラリー

海苔百景

海苔百景のトップに戻る 海苔百景のトップに戻る

リレーエッセイ 2020・春
海藻の学名ルールと私のちょっとした鬱積 2/2 川井浩史
アナアオサの学名の変更

さて、アナアオサは本来、北東アジアを本来の分布範囲とする海藻と考えられていたが、最近になってヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランドなど世界の様々な海岸で見られるようになった。このうち、ヨーロッパについては、外来種となったワカメと同様に養殖のための牡蛎の種苗の導入に伴って意図せずに移入したとされていたが、オーストラリア、ニュージーランドについては、その移入経路や起源がはっきりしなかった。このうちニュージーランドでは周辺に外航船が着くような大きな港から遠く離れた自然の海岸にも広く見られることから在来の種であろうと考えられたこともある。しかし、筆者の研究室で、アナアオサについて日本周辺を含む世界の広い範囲から標本を採集して、詳細な遺伝子解析を行った結果(図2)、やはり北東アジアが本来の分布域であって、その他の海域へは人為的な活動によって移入したものが広がったと言うことが確かめられた。

図2 アナアオサ遺伝子型の地理的分布.
図2 アナアオサ遺伝子型の地理的分布.葉緑体 atp I 遺伝子と atp H 遺伝子の介在領域とミトコンドリア trn A 遺伝子と trn N 遺伝子の介在配列の連結配列で右上に示す48のハプロタイプ(遺伝子型:H1~H48)が認識された.アナアオサの原産地である北東アジアでは、多様なハプロタイプがみられるが、移入先では少数で、原産地にも存在するハプロタイプ(H6, H8, H9, H13, H39)しか見られなかった.(羽生田ら 2016)

と、ここまではアナアオサ Ulva pertusa という海藻がアジアから世界各地に移入したことが確かめられたという話で、学名や命名のルールに関わる問題はない。しかし、同様の方法でオーストラリアのアオサ類を詳細に研究したKirkendaleら (2013) は、オーストラリアに生育する Ulva australis という種が、遺伝的には Ulva pertusa と非常に近い、あるいは同じであるということを発表した。そして Ulva pertusa という種(1897年にKjellmanが発表)と Ulva australis という種(1854年にAreschougが発表)はいずれもスウェーデンの別々の研究者が命名したが、Ulva australis の命名の方が 約50年古い。従って、この種の名前はルール上、より古い名前である Ulva australis ということになる。しかし、前述したようにオーストラリアに分布するアナアオサは日本ないし北東アジアからの移入であることが明らかになっている。また、Ulva pertusaUlva australis の2種は、その形は非常に良く似ており、アオサの仲間の海藻は、ノリ(アマノリ類)と同様に形が非常に単純である上に環境条件による変化も大きい。しかし、オーストラリアの研究グループが調べた標本は最近採集されたものだけであった。このため、実はオーストラリアには Ulva australis という在来種もあるが、形の上で類似した Ulva pertusa という外来種に押しやられており、両者が混同されているという可能性も考えられた。なぜなら Ulva australis という種が記載された1850年頃は日本では江戸時代であり、その当時鎖国していた日本とオーストラリアを直接結ぶ海運は無かったはずである。またアナアオサは温帯域に分布する海藻であり、自然に熱帯の海域を越えて南半球まで分布を広げたとは考え難いからである。そこで、われわれは Ulva autralis という種が記載される元になったタイプ標本(図3)の一部をスウェーデン自然史博物館から提供して頂き、遺伝子解析を行った。その結果は、(残念ながら)やはりUlva australis Ulva pertusa は同じ種と考えられるというものであった。すなわち、いつ、どのような経路で運ばれたのかは分からないが、日本周辺に生育していたアナアオサは、(おそらく第三国を経由して)1850年より前にオーストラリアに外来種として定着、拡大していたということになる。そして、同じ緯度帯に位置するニュージーランドにもすでにその頃には移入が起こっていた結果、まるで在来種のように全島に分布を広げてしまったのだろう。

図3 スウェーデン自然史博物館に収蔵されているUlva australis のタイプ標本 (S-A2025) .
図3 スウェーデン自然史博物館に収蔵されている Ulva australis のタイプ標本 (S-A2025) .

アオサ類のように、木造船の船体に着生したり、当時船底に積み込まれていたバラスト(重しの石)に付着していたりした海藻や、フジツボ、イガイなどの動物は、16世紀の大航海時代以降、或いはさらにさかのぼってバイキングが活発であった時代から船を介して分布を広げてきたと考えられ、アナアオサもその一例だったのであろう。さて、学名に話を戻すと、アナアオサの学名にはUlva pertusa ではなく Ulva australis を使わなければならないと言うことになった。しかし、北東アジア原産のアナアオサを、本来は外来種につけられた「オーストラリアのアオサ」(あるいは「南のアオサ」)という意味の Ulva australis という学名で呼ばなければならないというのは、なんだかとてもフラストレーションがたまるのである。

PDFファイルはこちら

執筆者

川井浩史(かわい・ひろし)

神戸大学内海域環境教育研究センター特命教授(同元センター長)、理学博士、アジア太平洋藻類学会 (APPA) 会長、日本藻類学会元会長、日本藻類学会学術賞 (山田賞) 受賞(2019).

「海藻の学名ルールと私のちょっとした鬱積 2/2 川井浩史 | 海苔百景 リレーエッセイ」ページのトップに戻る