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産地を追って no.8 (第2部) のり産地の風物詩「天日干し」再現~日本一ののり産地で有志が発起~

【平成25年1月21日掲載】

のりの天日干し風景
のりの天日干し風景。のり産地では、昭和30年代にはこのような風景が日常的にみられました。

No.8の第1部では現在ののり生産状況を報告しましたが、第2部ではのり生産の原点を振り返る姿をご紹介します。

今漁期、昭和30年代の初め頃まで全国ののり産地で見られた「手抄(す)きのり」と「天日干し」の風景が再現されました。場所は、日本一ののり産地、九州有明海に面した佐賀市嘉瀬(かせ)町です。

佐賀県有明海漁業協同組合佐賀市支所ののり生産者有志が取組んだものですが、早朝の陽射しに映える碁盤目模様ののり干し棚が並んだ風景を、近所の長老達も「なつかしか風景バ見せてもろた」と足を止めて眺めていました。

1 のりを慈(いつく)しむ心を育てよう

平成24年11月21日午前7時、空一杯にうす雲が被い、薄日の射すひんやりした朝でした。佐賀県有明海漁業協同組合佐賀市支所に所属する組合員が次々と現れました。のり養殖に取り組んでいるのり作りのプロたちです(のり生産者、のり養殖業者、のり漁業者等のいろいろな呼び方がありますが、要は漁業協同組合に所属するのり養殖業を営む漁業者、地元では以下に出て来る「海苔師」(おそらく「漁師」との対比で)という呼び方が一番ぴったりします)。20歳代から50歳代の若者達(世間では青壮年ですがのりの世界では若者)に混じって60~70歳代のおやじさんの姿も見えます。

午前7時過ぎ、集まった約20名の「のり師」たちが「始めましょうか-」と声を掛け合って、「手抄きのり」の作業場にしつらえた、のり種苗の培養場に入りました。「子供のころ、見たことがあるもんネ」と60歳代の先輩が声をかけるなか、70歳代の先輩のり師が「久し振りバイ」とのり抄きの手はずを指示します。テキパキと指示に従って、作業準備が整えられて行きます。

とはいえ、大変手間のかかる仕事です。労力が必要で、現在から見れば非効率な作業ですが、どうしてあえて「手抄き、天日干し」ののり作りに取り組んだのでしょうか。

このことについて佐賀県有明海漁業協同組合佐賀市支所の杉町省次郎運営委員長(支所運営委員長は佐賀有明大規模合併前の佐賀市漁協組合長に当ります)は、「のり養殖の技術も生産工程も学術的で機械化され、増産体制が出来て作業工程も合理化されています。しかし、のりは天産物であることに変わりはありません。のりが育つ海の環境によっておいしくなります。のりをそのように育てるのがのり養殖漁業者の役目です。機械化されて増産出来る状態になると、“のりを育てる"というより“製造する"という感覚になりがちです。“のりを育てる"ことの難しさ、そして楽しさを肌身で感じることものり養殖漁業者として重要なことです。そのためにも、養殖技術が進んだのり作りで育ったのりが果たしてどのようなものであるのか手抄きによって感じることも大切ではなかろうかと思って、今回取り組んでみました。」と語り、また併せて「のり生産地の産業遺産として、手抄きのりの技術とのりを慈しむ心を忘れないようにし、また後継者に引き継いでもらいたい」とも語っていました。

2 “のり産地の食文化産業遺産"を味わってもらいたい

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