産地情報 | 産地リポート
人工的に種付けは出来ても、育てるのは「海」
日本の沿岸は公有海面であり、漁業権が設定されています。そこで営まれる漁業や養殖業は海の限られた部分を一定期間国から借りて使用することになります。農業との基本的な違いは、固定資産としての不動産つまり私有地としての田畑がないことです。のり養殖業の場合は区画漁業権の行使がのり養殖漁家が所属する地先の漁業協同組合に許可され、毎年9月1日から翌年の4月30日までの、のり養殖が可能な期間だけ漁場を借りているわけです。
しかし、許可された期間を全てまたは十分に使用できる産地は限られています。気象条件によって海の状態が変化するため、3月中旬までにのり養殖を終わらなければならない地域もあります。それは、のりが必要とする窒素、リン等の海水中の栄養塩類と言われる栄養成分が減少して、のり特有の黒褐色の艶と柔らかさが失われ同時に旨味が少なくなって養殖を打ち切らざるを得ないことがあるからです。
陸上作物と違ってのりの生育のために肥料を与えることも難しく、ビニールハウスで囲って水温を調節することも出来ません。いわば「天に任せる」生産です。
このように漁場環境の影響を受けざるを得ないのり養殖業の中にあって、一つ救いになっているのが、人工採苗技術の開発、普及、定着です。
人工採苗技術の開発にかかる基礎的な学問的知見を提供したのはイギリスの海藻学者で、マンチェスター大学で海藻類の研究をしていたキャスリーン・メアリー・ドゥルー・ベーカー女史でした。海岸を歩いていたドルー女史は、貝殻の内側が黒く変色しているものを見付け、研究所に持ち帰り調べたところ、海藻の果胞子であることを発見、その果胞子が糸状に生長しながら貝がらの内側が黒くなるほど生長して夏場を乗り越えていることを明らかにしました。1949年(昭和25年)のことです。この発見は学問研究上の友人である瀬川宗吉氏(九州大学教授)に「日本ののり養殖の一助にならないか」いう一文を添えて伝えられました。また、ドルー女史はこの研究成果をイギリスの著名な学術研究誌「ネイチャー」も掲載しました。瀬川教授は親交のあった、熊本県水産試験場鏡分場に在籍し輸出用牡蠣「クマモトオイスター」採苗研究の第一人者である太田扶桑男氏に連絡、太田氏は、この学説に沿った研究を行ない、昭和28年、糸状体によるのりの陸上採苗技術の開発に成功しました。
このようにのり養殖の基礎となる人工採苗技術は英国の基礎的研究と日本の技術開発の合体によって確立されました。その結果からだけ見れば、のりは養殖によって人工的に作りだされる産物のように思われがちですが、人工採苗技術はあくまでも人の手で隔離された種苗場で育て上げられた種苗をのり網に付着させる採苗の技術であり、それを食用の産物として育て上げるのは海であり、気象海況の変化によってのりの出来不出来が大きく左右されるわけです。
ある会合で若い方から「のりの生産の様子はテレビニュースの空からの映像でを見ていますが、のりはのり網についている黒いのりを網の升目にしたがって切り取って干したものでしょう?」と聞かれて、返答に苦労した事があります。