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リレーエッセイ 2011・冬
海中漫歩 第一話 「性の無い麗人」 3/3/横浜 康継
海藻の複雑な親子関係
写真1. ロープ上で成長した養殖ワカメ
写真1. ロープ上で成長した養殖ワカメ

海藻の親子関係などを調べるのは分類学者の仕事だが、どうしてワカメは夏をミクロな配偶体で過ごすのかという疑問は、生理学や生態学の研究者によって解き明かされることになる。

分類学者によるビーカーや試験管などを使った培養実験によって、配偶体は高温に強いということは判明していたのだが、ワカメの胞子体(食用になる体)の葉から打ち抜いた5円硬貨大の葉片とミクロな配偶体とで光合成と温度との関係を比較するというような実験をおこなうと、胞子体は配偶体よりはるかに高温に弱く低温に適しているということがわかる。

ワカメの胞子体は高温に弱いが、その子供にあたるミクロな配偶体は夏の高温にも耐える性質がある。そして秋に胞子体も生きられるほどに海水温が下がると雌雄の配偶体の生殖、つまり卵と精子の受精によって胞子体が生まれる。このようなことがわかったため、めかぶから放出された遊走子を糸に付けて、芽生えた配偶体を夏のあいだ陸上の海水プールで育て、秋になってから海面に張ったロープにその糸を巻いたりはさんだりする、という養殖技術が開発されたのである。

高温に弱くて低温に適した胞子体は秋に芽生えて春に遊走子を放出して枯れ、遊走子から芽生えた高温に強い配偶体は夏を越して秋に胞子体を生む、という親子関係は驚くほど合理的である。しかしこのような親子関係は、私たちには非現実的に思えるうえ複雑すぎて理解しにくい。私たちヒトという生物の世界では、親・子・孫がすべて「配偶体」である。つまり私たちの親子関係は「配偶体」の繰り返しなので、配偶体が胞子体を生み胞子体が配偶体を生むというような、有性世代と無性世代との交代という現象はピンとこない。しかし宇宙のどこかの星には、ワカメのような世代交代を繰り返す知的生物が住んでいるのではないか、と考えてみたらどうだろう。

ただ親と子がワカメの胞子体と配偶体ほどに大きさが違っては具合が悪いだろう。ところが海藻の世界にも配偶体と胞子体とが全く区別できないほど大きさも形もそっくりという種が存在するのである。その代表格は私たちにもかなり身近なアオサの仲間で、緑色のビニールシートのように広がる葉の形は胞子体も配偶体も同じなのだが、成熟したときだけ、遊走子や配偶子(卵や精子にあたる)の形成された葉の縁辺部の色が胞子体と配偶体とで少し違うということから、なんとか判別できる。

図2. アナアオサの生活環
図2. アナアオサの生活環(川嶋ほか,2001を改変)

ヒトの世界でもアオサの仲間のように配偶体と胞子体がそっくりな体のままで街を歩いていたとしたらどうだろうか。魅力的な若い胞子体に出会って、男性(雄性配偶体)は「ボーイッシュな少女?」と思い、女性(雌性配偶体)は「母性本能をくすぐられる!」などと思って声をかけてみたくなる、といこともあるだろう。ところが「私は女でも男でもありませんから」などとデートへの誘いを断られたりしたらショックだろうか。逆に実際には雌性配偶体(つまり女性)なのにプロポーズを断る口実として「胞子体ですので」などと知恵をはたらかすことも可能になるだろう。

配偶体が胞子体を産み胞子体は配偶体を産むという親子関係がヒトの世界でも繰り返されたらどうなるか、などという奇想天外な仮定によって、海藻の複雑な親子関係を理解してもらおうと、こんな話を思いついたのだが、逆に海藻の中にも配偶体が配偶体を生むというヒトと同じ親子関係を繰り返す例外的な種が存在する。それはホンダワラの仲間で、その中にはヒジキも含まれる。ホンダワラの仲間の多くは雌株と雄株の別があり(雌雄同株の種類もある)、春に成熟すると、それぞれ雌性生殖器床と雄性生殖器床という雌雄の生殖器を付けて卵と精子を作り、それらの接合(合体)した受精卵が海底で発芽すると親と同じ雌株か雄株になる。つまりヒトと全く同じ親子関係を繰り返すのである。

無数の褐色の卵が付着した雌性生殖器床が陽光に輝く様子は、万葉集の中に「なのりその花」として詠われている。「なのりそ」とはホンダワラ類を呼ぶ万葉の頃の植物名なのだが、「告げるな」という意味にもなるので、ひそやかな恋を詠う歌に登場する。(第一話 終)

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執筆者

横浜 康継(よこはま・やすつぐ)

元南三陸町自然環境活用センター所長、元筑波大学教授(元筑波大学下田臨海実験センター長)、理学博士、第4回海洋立国推進功労者表彰受賞(2011年)

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