南信州の山里に生まれ育った私が初めてノリ養殖の現場に出てノリと出会ったのは1960年秋で、三河湾のノリ漁場であった。当時、愛知県宝飯郡御津町の海苔問屋「丸上」の社長の依頼を受けてノリ漁場の環境調査をアルバイトで引受けていた東京教育大学の大学院生であった横濱康繼さんの手伝いとして、ノリ養殖漁期に何度か三河湾のノリ養殖場を訪れて水温調査などを行なった。これがその後のノリ養殖との長い付き合いの始まりであった。この時に船を出して漁場をまわってくれたのが長木一さん(後に全国海苔貝類漁業協同組合連合会の会長を務めた)で、6年後に東京水産大学の故三浦昭雄先生と学生を連れて三河湾のノリ養殖現場を見学するため訪れた下佐脇漁業協同組合で奇しくもばったり出会い、長木さんも私も大変びっくりしたのであった。
私が東京水産大学に赴任したのは1966年で、最初はノリの生理学ということで養殖ノリの生長の基礎である光合成活性の研究に着手し、神奈川県水産試験場金沢分場のお世話になったが、後に色落ちノリの研究も行うことになった。典型的な色落ちは、宮城県松島湾で養殖されているアサクサノリで水温が著しく低下する1~2月に見られるということで、松島湾で色落ちしたアサクサノリを採集し、その色と色彩の基になるクロロフィルαやフィコビリン(フィコエリスリンとフィコシアニン)などの光合成色素を調べた。色落ちし始めたノリは緑色ないし黄色みを帯びてくるが、著しく色落ちしたノリ葉状体はノリとは思えないほど退色して白っぽくなり、極端な場合には新聞紙の上に広げると下の新聞の文字が透けて読めるほどであった(写真1)。光合成色素含量を測定すると共に、エンドオン型の自記分光光度計を用いて生の葉状体の可視部の吸光度を連続記録し、得られた吸光曲線を比較した。
ノリ葉状体から色素を抽出して定量した場合は勿論、分光光度計による吸光曲線でも、色落ちノリは光合成色素含量が著しく低下していることが分った(図1)。色落ちしてもノリは伸びると言われ、細胞分裂は進行していることが推測された。すなわち、細胞分裂は行われるが、光合成色素の合成が抑制または阻害される(葉状体の単位面積または単位重量当たりの色素含量が低下する)ために、ノリ葉状体の色が薄くなっていくものと考えられる。このような退色現象は生理学的にはブリーチング(白化または黄化)と呼ばれる現象の一つであるが、その原因は、色素合成が細胞分裂に追いついていけないことによるものであろう。であるとすれば、色素合成を制限しているのは何かということになる。直接的には、色素合成に必要な栄養塩の吸収が十分に行われていないことが先ず考えられる-海水中の栄養塩濃度が低下しているか、ノリの栄養塩吸収速度が低温のために低下しているかのどちらかであろう。当時は、日射が強すぎるために色素が減少して色落ちになると考える人が多く、色落ち対策としてノリ網をある深度まで沈めたりノリ網の上に遮光ネットなどを張って日射を制限することが試験的に行われていたが、実質的な効果は上がらなかったようである。色落ちはブリーチング現象であるから、確かに強光が原因である可能性は無きにしも非ずであるが、私はもっと単純に栄養塩不足または低温による栄養塩吸収速度の低下が主な原因ではないかと考えた。